ホーム

作品

工程

ブログ

これから

ネットワーク

リンク

          1996 in Nisigou 

楽遊舍 HOME>STORY

 現在に到るまでの簡単な流れを紹介します。

LOG HOUSE & TIMBER FRAME

 

 

 1980

年  ログハウスとの出会いそしてはじめの一歩

 


Dan Millen氏のデモンストレーション

一部上場の会社で恵まれた環境で仕事をしていました。    それでもその中に納まりきれない自分がいました。  休日を利用して家具工房、楽器製作、田舎暮らしなど自分探しがつづきました。
そんな時に出会ったのが、B. Allan Mackie氏の著書 「Picture Book of Log Homes」 でした。
カナダを代表するビルダー達の作品集です。  それぞれの作品の素晴らしさと ログビルダーという職業の可能性に魅了されました。 
そして、三浦亮三郎氏の主宰する 「C.L.B. ログビルディングスクール」 の存在を知り参加します。  24歳にしてやっとめぐり合えた、自分の進むべき道の入り口でした。
 1981 年 ログハウスとフロンティア

 


「夢の村つくり」へ向けて
 始めの一歩を踏み出す

卒業後は、休日に知人のログハウスを手伝っていました。    そんな時にC.L.B.の卒業生でスクールの講師でもあった関根潤一氏と再会しその志に打たれて 「有限会社 ログホームプランニグ」と村づくりに参加することになります。                                    
人口3000人程の山梨県武川村にてログビルダーとしての新しい人生が始まりました。 
電気も水も無い山の中で、「Canadian Hills」 というログハウス村の開発をしながらログハウスを建てました。
民家の離れの土蔵やプレハブに住み、焚き火を囲み、星を観ながら夢を語らい、難民とうわさされ
川で入浴するような原始生活も苦にならない程、何もかも新鮮で希望に燃えた毎日でした。       

 

構想に惹かれて集まった
昭和最後?のフロンティア

15,000坪の山林に、道が
切り拓かれて行きます

人も増え、ログハウスも
建ち、村らしくなりました

Canadian Hills 祭」で
ゲームに興じる

 

 

 

 


ログハウスには雪景色が似合います

CANADIAN HILLS」 の村民も増え ログハウスも注目を浴びるようになり、多忙な日々が続きました。                                                       ログハウスの加工、村づくりだけでなく、雑誌・TVの取材、各地でのイベント参加スクールの開催、カナダでの研修それから仲間達との酒宴と皆夢中で走り続けました。
お互いに切磋琢磨して腕を磨きあえる歳の近い仲間、頻繁に行われるカナダのビルダー達との交流、個性あるオーナー、面白いログハウスを数多く建てられ とても恵まれた環境でした。

 

 

 

 1986 年 CANADA ログビルディングスクール

 


カムループスにてスクール記念撮影

雑誌 「ウッディ ライフ」 の主催でカナダのカムループスでログビルディング スクールが開かれ、校長のMiles Porter氏のアシスタントとして参加する事になりました。
カムループスはTVドラマ 「ライスカレー」 の舞台となった所で、富良野塾からもアシスタントとして2名参加しました。
夏なのに雪が降り、夜空にオーロラが現れ、生徒さんの汗の結晶のログウォールにクレーン倒れたりとこちらでもおもしろいドラマが展開されました。

 

 

 

 1987

年 MILES PORTER氏 と共に

 


Miles Porter氏(中央)とスタッフ

Miles Porter氏は数多いカナダ゙のログビルダーの中で、私が最も影響受けたビルダーです。
彼の創り出す、曲線を生かしたログハウスはとても美しく、優しい。
そのMiles Porter 氏と一緒にP&Bをつくる機会に恵まれました。                   バンクーバー島のParksvilleでの経験は、貴重なものとなりました。
8年前に私がこの世界に飛び込むきっかけとなったB. Allan Mackie氏の著書              「Picture Book of Log Homes」 に紹介されているカナダを代表するビルダーであるDan Millen氏Ed Canbel氏の息子Brian氏 Miles Porter氏この3人の仕事に接することが出来てとても幸運でした。

 

 

 

 1988

年 白州モデルハウス

 


ログハスウスを見るElliot 氏(右)
とRoss(左)

「ログホーム プランニング」 はログハウス建築の受注が多くなり、スタッフも20人程の大所帯となり、納期に追われながらただがむしゃらにログを刻む毎日となりました。
もっとじっくり真剣にログハウス建築に向かい合いたいと思っている時に、自社のモデルハウス建築に携わる事になりました。                                        
思うように自由に作っても良いという夢のような仕事でした。                       「丸太と角材の融合」 をテーマに建てたのが写真の建物です。
壁はP&B、ラウンドとダブテイル、小屋組みに知らない筈のティンバーを取り入れました。
この建物を機に、新しい扉が開かれました。

 

 

 

 1989

年 有限会社 楽遊舎 設立

 


楽遊舎のロゴマーク

会社が大きくなり、忙しくなると個性豊かなスタッフが多いだけに足並みが揃わないこともでてきます。   スタッフの目指す方向も少しづつずれはじめて 「ログホーム プランニング」 も次の段階にシフトする時期を迎えたようです。
丁度その時期にFM富士が開局しました。   元放送関係の仕事をしていた知人から 「ログハウスは音響効果が良いので、音楽部門を作りたい」 との申し出があり「建築と音楽と住空間の融合」を掲げた新会社 「有限会社 楽遊舎」 を設立しました。
音楽部門の活動はまた別な機会に紹介できればと思います。

 

 

 

 1989

年 TIMBER FRAME との出会い

 


Tedd Benson の著書

カナダで開催された、 「Canada Log Builders Association」 の会合に出席したおかみさん(関根千代子さんの通称です)は、そこで知り合ったオレゴンに住むビルダーMikeから、Tedd Benson 氏の著書 「THE TIMBER-FRAME HOME」 を紹介されます。
カナダのログビルダー達もTimber Frameに注目し始めているとの事でした。
そして、冬休みに行ったハワイの本屋さんでこの本を見つけます。                   私のテーマを知っている筈もないのに、 「タノさんがきっと興味を示すだろうと思って」  とお土産に持ち帰ってくれたのです。                                          この本を目にした瞬間、 「これだ!」 と思わず叫んでしまいました。
 後にTedd Benson 氏は誰もが認める 「TimberFrame の神様」 だと知りました。
残念ながら神様とは未だ会う機会の無い私です。

 

 

 

 1989

 TIMBER FRAME を求めて新たなる挑戦

 

久しぶりに皮むきをするRoss

Riverbend 社での現場体験
SIPsで覆うのがスタンダードです。

Canadian HillsにてElliot氏とRoss

The Timber- Frame Home」 を一緒に見ていた仲間が、「ティンバーフレームを日本に紹介している記事があった筈だけど」 といって雑誌を出してきました。
何と寄稿者は、C.L.B ログビルディング スクールに共に参加していたRossでした。
 スクールの後アメリカに帰ったRossは、おじさんの家のティンバーフレーム建築を手伝ったのをきっかけにティンバーフレーマーになっていたのです。
すぐにRossに電話をしました。
 当時はログハウスの受注が順調だったので、 「何も今更新しい建物に手を付けなくても」というのが大方の意見でしたが、関根社長とおかみさんの後押しを得て早速アメリカへ飛びました。
 シカゴの空港で、元気一杯のRossと再会しました。
 Rossの勤務しているRiverbend社は、活気があり、組織もしっかりしていました。
そして何より感心したのは、フレーマー、デザイナー、プランナー、エンジニア といった専門知識をもったスタッフが充実している事でした。
また、 The Timber Framers Guild の存在と活動内容にひかれました。
何度かの渡米を重ねて フレーマー達との交流、オーナーさん達との話を通じて、すっかりTimber Frameに魅せられてしまい、この建築を日本に紹介したい、又自分独自のTimber Frameを創り出したいという気持ちを強くしました。
 Riverbend社の要となるStewart Elliot氏との出会いも貴重な体験でした。             彼は、Tedd Benson氏と共にTimber Frame の復興に貢献した一人です。
「もし 自然が家を創るとしたら 木だけでなく石や土といった身近にある自然の素材を使って家をつくるだろう。」
と言った彼の言葉が今も私の心の中に生き続けています。

 

 

 

 1989

年 武川村にTIMBER FRAME が建つ

 


Riverbend社のオーク材フレーム

話はとんとん拍子に進み、武川村にTimber Frameを建てる事になりました。
アメリカのTimber Frameは、断熱材を合板とプラスターボードでサンドイッチにしたSIPと呼ばれるパネルで外壁から屋根まですっぽり覆います。                                土台もありません。     建築基準法どうする!?
 日本の建築士と、Riverbend社のエンジニアとのやりとりの末、やっとアメリカンスタイルのまま建築が出来る事になりました。        初めてのTimber Frame の組み上げに胸が躍ります。 通りすがりの人達も大きな柱や梁、見た事もない建物に驚きと感嘆の眼差しで見て行きます。
 組み上げが終わると、棟木の先に常緑樹を飾り、家を守って貰うため、木の精霊を迎える伝統的なセレモニーをして上棟を祝います。                                     このセレモニーは楽遊舎でも恒例となりました。

 

 

 

 1989

年 楽遊舎 新天地 那須へ

 


事務所として創り始めたら是非欲しい
という貴重な人が現れて,今だ事務所

創れづ

ひょんな事から、「ログホーム プランニング」の支店を那須に作らないかとの誘いを受けました。 希望者を募ったものの手を挙げる人はいません。
結局設立したばかりの楽遊舎なら動き易いだろうとの話になりました。
活動中の音楽部門は、武川村に残し 楽しさと離れて?遊舎は那須に活動拠点を移すことになりました。
那須高原の自然と将来性に夢を託し・・・・。

 

 

 

 


P&BにTimber Frameの要素を

Timber Frame を日本に紹介出来るようになり、雑誌等にも広告を出したりしましたが、資料請求はあるもののなかなか受注に結びつきません。                               折角建てた武川村のTimberも意味が無くなってしまいます。
その頃、那須で別荘の建売り販売をやっている会社からログハウスの注文を頂いていました。  そこで一計を思いついたのです。
「自由に創らせて下さい。もし完成後1年経っても売れ残るようだったら僕が買います。」       幸いな事に、すぐにお客様がつき引き続き注文を貰えるようになりました。
 それから徐々に注文住宅も受注出来るようになり、楽遊舎らしいTimberを試行錯誤しながら創りました。      初めの頃は、ログハウスのP&BをベースにTimberの要素を取り入れました。
 お客様と接していて、Log House は男性に好まれ、Timber Frame は女性に好まれる建物という事も解りました。          が、奥様に寄り切られた形の御主人も、結局Timber Frame
の大ファンになってしまいます。

 

 

 

 


The Cascade Joinery社のフレーム

アメリカでは、武川村のTimberに関わった Riverbend社のスタッフ数名が西海岸へと移動し     「The Cascade Jpinery」社 を設立しました。                               武川村に建てたTimber Frameに携わってくれた顔なじみのフレーマー達です。
 数年後、100坪程の店舗6棟のプロジェクトに協力して貰いました。

 

 

 

 1995

年 村づくり 再び

 


ペンション「エルデ」

那須に来てから、自社所有地を持たない楽遊舎は、ヤドカリ生活の繰り返しでした。
そろそろ好意に甘えてばかりいられないし、又村づくりもしたいという事で1990年西郷村に
1万2000坪の山林を購入していました。
今度は Timber Frame の村になる筈でしたが、資金もなく、建築に追われる日々で手を付ける事が出来ません。
 ところがここにペンションを建てたいという申し出がありました。                     村づくり構想にもプラスになり願っても無い話です。                            電気を引き、水道ポンプを設置しやっとスタートです。
1996年にはペンション 「エルデ」 がオープンしました。

 

 

 

 1996

年 大型のTIMBER FREME

 


保養所

Timber Frameに出会ってから8年目、150坪余りの保養所を建築するチャンスが訪れました。    しかも建物本体のみでなく外構・家具・カーテン・リネンまでコーディネイトさせて下さるというのです。
 食堂にはハンマービームを連ね、玄関には特大の角材を使ったアーチ、パーラーにはヒップと持てる技術を存分に取り入れて作りました。
 Timber Frame の最大の利点として、大断面の柱と梁を使用する為木造としては広い空間が創れると同時にフロアープランの自由度も高くなる事、力強い木組みの構造体自体が美しいという事が挙げられます。    
それ故大型の建物に適した工法と思います。

 

 

 

 1998

年 集中豪雨が西郷を襲う

 


基礎の上を2〜3センチ動いた
ものの、しっかり建っていました

ペンションのオーナー一家の努力もあって、やっと軌道に乗り始めたという時、思いもよらない事態が発生しました。
記録的な集中豪雨の為、裏山で土砂崩れが起きてしまったのです。
 幸い宿泊客もいなかったので、その夜に限って家族全員で2階に寝ていたので助かったのでが、壁を突き破り建物に雪崩れ込んだ土砂が1階を埋め尽くしていました。
 救助隊員が 「こんなに丈夫な建物だったからこの程度の被害で済んだけれど、普通の家だったら全壊していましたね」 と言われたそうです。
道半ばでペンションを辞める事になったオーナーの御家族の心中を思うと胸が痛み、忙しさにかまけ村づくりを後廻しにしていた事が悔やまれました。
無事だったという事だけがせめてもの救いです。
こうして村づくり構想は幕を引く事になりましたが、今までの経験を生かし、「等身大の村づくり」  という夢は、また追い続けるつもりです。

 

 

 

 1999

年 手間と時間をかけた建売

 


厳選した米松のリサイクル材
をアメリカから取り寄せました

実際に住みながら、コツコツと家を完成させ、もし気に入って下さった方がいたらお譲りし、又次の建物を建てる。 
それは私の目指す建売りの方法です。
思い切ってそれを実行する事にしました。
しかし 「居心地のいい空間」 に住んでしまうとついゆっくりしてしまい、なかなか仕上がりません ああしようこうしようと、手をかける事にきりが有りません。
 周りからも 「一体何時になったら売りに出すの?」 との声が聞こえるようになりました。
ついに知り合いの不動産業者さんに販売依頼を出しました。 
何と1週間もしないうちに、新しいオーナーさんが決まったのです。 
言葉に表しようのない喜びでした。
 オーナー様にも満足して頂いて、とても大事に住まわれています。 感謝の気持ちで一杯です。
良い土地が見つかれば又、挑戦しようと思います。
 建築中に、アメリカから来ていたRossに建物を見て貰い感想を聞きました。
「アメリカに追いついた!日本のTimber が出来たね!」この言葉を聞くのに10年かかってしまいました。

 

 

 

 2003

年 日本の古材 −その1−

 


古材の再利用

20代は カナダ゙のログハウス、30代は アメリカのティンバーフレームと何度と無く海外に出る機会がありました。
 それは日本の良さを再認識する機会でもありました。
建物についていえば、日本の古民家です。
 昔から古民家の再生に興味があり、かねがね古民家の古材を使ってみたいと思っていました。 この夢を実現するチャンスが訪れました。
 古材を集めていた知人から 「15坪程の店舗をこの古材を使って建てて貰えないか」 との相談を受けたのです。
これまでは、必要な大きさ長さの直材を使用できたのですが、今回はそうでは有りません。
目の前にある木ををどう生かすするかなのです。
地元に育った曲がった癖のある木を適材適所に配し、何百年も風雪に耐えてきた先人達の知恵と技術と美意識には教えられることばかりです。
加工された仕口を観ていると先人の声が聞こえたような気がします。
「いい仕事してますか。?」    って

 

 

 

 2004

年 日本の古材 −その2−

 


Cafe’ ベッカライ シルスマリア

平塚に建てたレストランでも勉強させて頂きました。
オーナー様の意向は 「スイスの山小屋風で、しかも他にないような木造の建物」 でした。
そこでデザイナーのK氏が楽遊舎のHPに目を留めて下さったのです。
「自社でフレームの加工をしている」 というのが白羽の矢を立ててくださった一因とか。
 オーナー様は古材が好きで、デザイナーのK氏はアクセントとして古民家材を配置しました。
 民家の古材が、新しい米松のTimber Frame にしっくりと組み合わさったとても素敵なレストランになりました。 
この新旧の混在の面白さには感動しました。

 

 

 

 2004

年 MADE IN CHINA

 


中国 大連のヤード

 知人の会社の手伝いで、1月半ほど中国で仕事をする機会に恵まれました。 
中国の人達と一緒にログハウスを作るなどという事は微塵も想像した事がありませんでした。
 中国ではハンドカットのログハウスがやっと知られた頃で、皆とても熱心で良く働きます。
加工の技術、設備、道具は、まだ整っていませんが Made in China のハンドカットログが、増えてくるのは 時間の問題のように思われます。
短い滞在でしたが観光では見えない、大きく変わってゆく中国を体感する事出来ました。
親切にしてくださった現地の社長さんやスタッフ、チャイニーズ ログビルダ−にまた会える日を楽しみにしています。

 

 

 

 

 


 

楽遊舍 栃木県那須塩原市下厚崎39-7 TEL: 0287-62-5070 FAX: 0287-62-5071 Mail: tanoue@gakuyuusya.com